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ひろゆき氏「音楽は世界を変える」(訳) パリの演奏動画を引用、「ワシらもソーラン節」の反応も

ひろゆき氏の肖像イラスト。「音楽は世界を変える」は本人投稿の訳と明記。パリの演奏動画を引用した件。匿名シルエット付きの吹き出しに実際の反応「ワシらもソーラン節踊ろう。」を掲載。ユーザーIDなし。

ひろゆき氏が11月7日、日本時間午前5時1分にXを更新しました。パリの広場での演奏を紹介する動画を引用し、フランス語で「La musique change le monde. Pas vandalism.」と投稿しています。「音楽は世界を変える。破壊行為ではなく」という趣旨です。短い言葉への反応には、賛同だけでなく、音楽で社会が変わるという見方への疑問や、日本の踊りを持ち出す声もありました。

パリの演奏動画に、フランス語で二言

  • ひろゆき氏は、Les Répliquesというアカウントの演奏動画を引用しました。
  • 動画の投稿者は、11月5日のゼネストに際し、パリの共和国広場で行われた演奏だと説明しています。
  • ひろゆき氏の日本語の言葉として流通しやすい「音楽は世界を変える」は、今回のフランス語投稿の訳です。

引用元のLes Répliquesの投稿は、日本時間11月5日午後10時13分のものです。説明には、演奏したのは「Orchestre du Nouveau Monde」で、音楽と社会的な要求が重なった場面だとあります。動画には、広場に集まった人々と、楽器を持つ演奏者たちが映っています。

ひろゆき氏自身は、演奏の細かな解説や政策への賛否を書いていません。「音楽」と「破壊行為」を並べて、前者に力があるとする二言です。どの事件や人物を具体的に批判しているのかまでは、この投稿には書かれていません。

この短さが目を引きます。長い政治的な説明より先に、動画を見てほしいという投稿にも読めます。一方で、「世界を変える」という大きな言葉だけに、何を変えられるのかを問いたくなる人がいるのも自然です。

なお、演奏日や場所は引用元の説明に基づくものです。ひろゆき氏が現地で撮影した映像ではなく、本人がその場にいたことを示す投稿でもありません。演奏者全員の所属や、ストライキの具体的な要求までを、この映像だけから断定することはできません。

ネットの反応

元投稿に付いた公開の反応から4件を紹介します。音楽の力を肯定する声、少し距離を置く声、踊りに話を広げる声がありました。確認できた個人の声で、賛否の割合を示すものではありません。

ソーラン節に話を広げる反応

この発言には賛同する反応

音楽と何かが結びつく力に触れる反応

短い疑問を寄せる反応

「ワシらもソーラン節」の一言がいい

「ワシらもソーラン節踊ろう。」という反応は、フランスの広場の話を、急に身近な景色に引き寄せます。

ひろゆき氏の「世界を変える」という大きな話に、そのまま大きな言葉を返していません。「それなら自分たちは何を踊るか」という方向へ飛ぶ。その軽さに、少し笑ってしまいました。もちろん、この一文だけで、投稿者が実際に抗議活動を計画しているとか、特定の政治的立場に賛同しているとはいえません。

でも、遠い国の演奏を見て、日本の踊りの名前が出てくるところは面白いです。意見が同じか違うかを決める前に、音や踊りの話で参加できる。難しい言葉を重ねなくても、映像への受け止めはちゃんと伝わっています。

「こればかりは/文明人として賛成です。」という反応もありました。「/」は原文の改行です。「こればかりは」という出だしには、無条件にひろゆき氏を支持するというより、この発言についてはうなずく、という距離感が感じられます。人物全体の評価と、一つの発言への賛同は別の話です。

こうした言い方を見ていると、同じ投稿への賛成でも、温度はずいぶん違います。大きく共鳴する人もいれば、一言だけ認める人もいる。単に「賛同の声」とまとめると、そうした言葉の味が消えてしまいます。

音楽の力にうなずきながら、「そうかな」も

Hajime Hirose/広瀬創さんは、「音楽そのものの力は微弱かもしれませんが、何かと結びつくと、とんでもない力があるものと考えます。」と書いていました。

この「何かと結びつくと」という部分が、ひろゆき氏の短い言葉を少し具体的にしています。演奏そのものに感動することと、演奏が人の思いや集まりと重なることは、同じではありません。今回の引用元も、社会的な要求と音楽が混ざる場面として動画を紹介しています。

ただ、投稿者がいう「何か」が何を指すのか、具体例までは示されていません。そこに特定の運動や思想をこちらで補ってしまうと、別の発言になります。それでも、「音楽だけで全部が変わる」と言い切らず、組み合わせによって力が生まれると考える書き方には、うなずけるところがあります。

一方、「そうかな」という短い反応もありました。これだけでは、音楽の影響力を疑っているのか、破壊行為との比較に引っかかっているのかは分かりません。理由のない二言を、強い反論や特定の政治的主張に膨らませるのは無理があります。

それでも、この「そうかな」が並んでいると、投稿の見え方が少し変わります。美しい演奏を見て気持ちが動くことと、実際に制度や暮らしが変わること。その間には、まだ距離があるのではないか。そんな問いとして読む余地はあります。これは反応の意図を断定したものではなく、短い言葉から感じた疑問です。

演奏の魅力と、主張への賛成は別に残る

今回の投稿で印象に残るのは、ひろゆき氏が演奏を褒めるだけでなく、「Pas vandalism.」と破壊行為との対比を置いたことです。「音楽はいい」で終わらず、訴える方法の選び方に話を向けています。

物を壊す場面と、楽器を持ち寄る場面では、見ている側の入り口も変わります。怒りの強さより先に音が届くなら、主張に詳しくない人でも足を止めるかもしれません。ただ、それは映像の伝わり方についての感想です。演奏が政策を動かしたという結果は、この投稿からは確認できません。

同じように、演奏がよかったからといって、その場にいる人たちの要求すべてに賛成したことにもなりません。音楽の魅力を認めつつ、主張には異論があるという受け止めもありえます。この二つを一緒にしない方が、音楽への感想も率直に言いやすそうです。

「世界を変える」は、やはり少し大きな言葉です。でも、その言葉への反応にソーラン節が出てくると、話がぐっと近くなります。大げさだと感じる人まで巻き込める余白は、長い説明ではなく、ひろゆき氏のあの短い投稿にあったのかもしれません。

出典とメモ

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