賃金が増えたという見出しと、自分の給与明細との間には距離がある。厚生労働省が9月8日に公表した2026年7月分の毎月勤労統計速報は、現金給与総額43万6401円、前年同月比4.7%増、実質賃金2.4%増を示した。一方、同じ資料には1月の標本入替えで生じたマイナス1582円という注記がある。この差額を7月の賃金に足せば、本当の伸びが分かるのだろうか。速報と参考表を並べると、そこまで単純な読み方はできない。
1. 1582円は、1月の新旧標本を比べた差額
報道発表資料の注記は、2026年1月に調査対象事業所を部分的に入れ替え、同じ1月の新旧の結果を比べたところ、現金給与総額でマイナス1582円、率でマイナス0.5%、きまって支給する給与でマイナス801円、マイナス0.3%の差が生じたと説明する。特定の労働者の給料が1582円減ったという意味ではない。違う標本から得た集計結果の差である。
旧稿はこの差額を7月の43万6401円で割り、約0.4%の下押しがあるかのように説明した。しかし1月に測った差が、7月にも同額で続くという資料は確認していない。賞与や産業別の給与、調査に含まれる事業所の構成が動くなかで、1月の差だけを持ち運び、7月の4.7%は過小評価だと結論することはできない。
利用上の注意によると、30人以上の事業所では2018年から毎年1月の部分入替えへ変更した。賃金・労働時間の指数には入替え時の段差を消す遡及改訂を行っていない。1月は旧標本による速報と、新標本による確報以降という扱いもある。数字が間違っているという話ではなく、比較の土台が変わる点を読者へ伝える注記なのだ。
2. 本系列4.7%と共通事業所2.8%を並べる
厚労省は前年同月と当月の両方で集計対象となった共通事業所の伸び率も公表している。7月速報の現金給与総額は本系列4.7%増に対して共通事業所2.8%増だった。所定内給与は4.1%増と3.0%増である。旧稿で未確認としていた参考表の数値を、概況14頁と概要1頁で直接照合した。
厚生労働省「2026年7月分結果速報」概況1・14頁を基に作成。調査産業計・規模5人以上・就業形態計の名目賃金を比較。共通事業所は参考値である。
| 7月速報の前年同月比 | 本系列 | 共通事業所 |
|---|---|---|
| 現金給与総額 | 4.7%増 | 2.8%増 |
| きまって支給する給与 | 4.1%増 | 2.9%増 |
| 所定内給与 | 4.1%増 | 3.0%増 |
共通事業所では、前年の給与も当月の労働者数で重み付けし、事業所間の労働者数の変化による影響を除く。標本入替えやベンチマーク更新の影響を受けない比較を提供する一方、通常の公表値より標本が小さい。全国の平均を推計する本系列と、同じ事業所の平均給与の変化を見る参考系列では、比べている集団と重み付けが違う。
4.7-2.8=1.9ポイントという差は再計算できる。ただし、それを全て標本入替えの効果とみなすことはできないし、2.8%だけが真の賃上げ率ともいえない。同じ事業所であることは同じ個人を追跡していることでもない。入退職や働き方の変更を含むため、各社員の昇給率と直接重ねない。二つの数字は互いを否定する値ではなく、問いの異なる集計である。
3. 総額の30.9%は特別給与で、全て賞与ではない
43万6401円の内訳は、きまって支給する給与30万1582円と、特別に支払われた給与13万4819円だ。合計は一致する。特別給与の割合は13万4819÷43万6401×100=約30.9%となる。だが、これを全て夏の賞与と呼ぶのは定義を狭めすぎていた。
特別給与には賞与に加え、不定期の支給、3か月を超える期間で算定する手当、ベースアップの差額の遡及支給なども入る。例えば6か月分の通勤手当も該当する。統計上の特別給与の増加6.3%を、賞与だけの伸びとして使わない。7月の総額は毎月続く固定的な給与だけを測ったものではない。
一方、きまって支給する給与にも超過労働給与が含まれる。所定内給与28万797円はそこから所定外給与を除く区分だ。旧稿の毎月の家計を回す金額という表現も、手取りのように読めるため改める。現金給与は所得税、社会保険料などを差し引く前の額であり、口座への入金額ではない。平均額だけで読者の固定費を払えるかは判断できない。
4. 実質2.4%は、単純な引き算ではない
実質賃金は名目賃金指数を消費者物価指数で割り、購買力の変化を表す。持家の帰属家賃を除く総合で実質化した指数は117.6、前年同月比2.4%増、物価の伸びは2.2%だった。旧稿の4.7-2.2=2.4という説明は誤りで、単純な差は2.5になる。
公表された丸め後の伸び率で計算をたどると、(1.047÷1.022-1)×100=約2.446%となり、小数第1位では2.4%になる。これは割合の割り算を示す概算で、公式指数の丸め前の値を再現した計算ではない。名目と物価の伸び率の差は近似には使えても、公式値を決める厳密な式ではない。
国際比較向けに併記された総合CPIによる実質指数は120.1、2.6%増で、物価は2.0%上昇だった。同様の概算は(1.047÷1.020-1)×100=約2.647%である。帰属家賃は持家を借家とみなした場合の家賃で、実際の支払いではない。何を物価に含めるかを明記し、2.4%と2.6%を入れ替えて使わない。どちらも個々の家計の購買力を直接測る値ではない。
5. 長い記録より先に、対象と単位をそろえる
発表は規模5人以上で名目給与の3%以上の伸びが6か月続くのは34年4か月ぶり、実質賃金は7か月連続のプラスとする。本稿はこの速報発表時点の記録を紹介している。後日の確報や最新月まで全て追い直した通算記録ではない。速報は遅れて回収・確認した調査票などを加えた確報で変わる場合がある。
一般労働者の総額は57万8123円、4.7%増、パートの時間当たり所定内給与は1460円、5.7%増である。一般労働者は常用労働者のうちパートではない者で、正社員という雇用契約の区分と同一ではない。月額と時給の伸びは労働時間の扱いも違う。時給の上昇だけから人手不足が原因だと断定することも避ける。
概況は対象3万3049事業所、回答2万2666事業所、回収率68.6%と示す。回答事業所の給与を単純平均するのではなく、産業・規模別の推計を積み上げて一人平均を計算する。回収率だけで信頼性を即断したり、43万円が最もよくある給与だと扱ったりはできない。平均の上昇と、所得の分布や中央値の改善は別に確認する事項である。
独自の視点――給与の中身と、比べる集団をそろえる
編集部がこの速報から重視するのは、上がったか下がったかを一つの数字で決めるより、比較を二段階にすることだ。まず給与を所定内、所定外、特別給与へ分ける。そのうえで全国を推計する本系列と、共通事業所の参考値を並べる。この二つの軸をそろえると、賞与を含む月の上向きを、毎月の基本的な給与や同じ職場の昇給と取り違えにくくなる。
今回、総額に占める特別給与は約30.9%で、総額の伸びには本系列と共通事業所で1.9ポイントの差があった。どちらも資料から追試できるが、賞与だけの寄与率や標本入替えの影響額を証明した数値ではない。検証可能な計算を増やすほど、その計算が説明していない範囲も残す必要がある。これは統計の結論ではなく、比較表から導く編集部の読み方である。
給与明細の感覚と統計がずれる場合も、統計が偽りだ、個人の感覚が誤りだという二択にしない。税引前と手取り、月額と時給、給与総額と定期給与、物価指数と自分の支出構成を順に確認する。1582円という注記は隠れた本当の賃上げを逆算する鍵ではなく、何を同じ条件で比較できるのかを考える入口になる。
訂正・補足(2026年10月11日):旧稿で未確認とした共通事業所の7月速報値を照合し、比較表を追加した。1月の標本入替え差額を7月にも一定として過小評価を断定した説明を撤回。特別給与を全て賞与とした見出し、実質賃金を4.7%から2.2%の単純な引き算で2.4%とした説明を訂正した。注記の位置も、結果のポイントより前ではなく紙面下部である。メディアがほぼ例外なく本系列を使う、人手不足が時給上昇の原因という未立証の断定を削除した。旧注意のうち、速報が確報で改訂され得る点は保持する。本稿は9月8日の7月速報を読み直す記事で、後日改訂された最新値の紹介ではない。
[文・構成=編集長 麻生 矩暉]
出典とメモ
- 厚生労働省「毎月勤労統計調査 2026年7月分結果速報」、9月8日。報道発表資料1・2頁で額、伸び率、記録の記述、1月の差額、給与区分を照合。
- 概況PDF1・14・16・17頁を紙面確認。回収規模、共通事業所の値と重み付け、用語、指数と標本入替えの注意を照合。比較表、特別給与の割合、伸び率差、実質化の概算はこれらを基に作成。公表率は丸め後である。
- 集計・推計方法と利用上の注意。一人平均の推計方法を確認。結果の概要、旧補助出典の労働新聞社の紹介は履歴として保持。確認日2026年10月11日。個票、給与分布・中央値、全過去月の記録、7月確報以降の改訂値、標本差の7月への因果寄与は今回未検証。独自の視点は編集部の分析で、個人の給与・家計の評価ではない。














