利上げを終えたのに、実質金利はなおマイナス。それは何を意味するのか。日本銀行の高田創審議委員は9月2日の札幌での講演で、一定の間隔に縛られない利上げを重視する見方を示した。資料のマイナス1.24%は印象的だが、家計の預金がその率で減ったという数字ではない。講演時点の金利、物価の予測、政策を決める主体をそろえて読むと、数字の強さと限界が見えてくる。
1. 高田委員の提案と、日銀の決定を分ける
講演は6月に政策金利を1.0%程度へ引き上げた経緯と、高田委員が7月の会合で1.25%への利上げを提案したことを説明する。同時に、最近の金融政策運営についての私見だと明記している。提案した水準を、その時点で日銀が採用した水準としては扱わない。本稿も9月2日の講演とその資料を読み直すもので、現在の政策金利を示す記事ではない。
高田委員は2024年と2025年に結果として年2回だった利上げと、2026年に必要だと考える機動的な対応を対比した。これは一定の間隔が日銀の約束だったという意味ではない。旧稿の「日銀が目安を手放した」という説明は、委員の問題意識を政策委員会全体の決定へ置き換えていたため改める。
講演が参照する市場の利上げ織り込みも、金融商品の価格から読まれる見通しであり、中央銀行の予定表ではない。市場参加者が半年ごとの利上げを想定していたことと、日銀が半年ごとに実施すると約束したことは別である。高田委員が市場の織り込みを意図的に崩そうとした、という動機も資料からは断定しない。
2. マイナス1.24%は、予測を使った比較値だ
図表20の注記は2026年8月25日時点の値で、IMFによる各国の2026年の消費者物価上昇率見通しを使って実質化したとする。欠損値には線形補間による推計も含む。従って、その日に観測された物価上昇率だけで計算した値でも、翌年の物価や実際の利回りを保証する値でもない。
日本銀行・高田委員講演の図表20を基に作成。2026年8月25日時点、IMFの2026年CPI見通しによる実質化。差は編集部計算。
| 国 | 実質政策金利 | 日本との差 |
|---|---|---|
| 日本 | −1.24% | 基準 |
| アイルランド | −0.73% | +0.51ポイント |
| スイス | −0.48% | +0.76ポイント |
| ドイツ | −0.25% | +0.99ポイント |
| 米国 | +0.52% | +1.76ポイント |
米国との差は0.52-(-1.24)=1.76ポイントとなる。割合の何倍という比較ではなく、二つの率を引いた幅である。日本が最も低いことは、この図に載る20か国の政策金利欄で確認できる。全世界の全ての国を調べた順位へ広げない。同じ物価見通しを使っても、金利の対象と期限が違えば比較する意味も変わる。
同じ図で日本の10年の実質金利はプラス0.65%である。政策金利のマイナス1.24%と並存するからこそ、「日本の金利は全て実質マイナス」とまとめるのは不正確だ。長い期限の金利と短い政策金利を混ぜて、円相場が必ず一方向へ動くと結論することもできない。
3. 預金、借入れ、長期金利へそのまま移さない
実質金利を考える基本は、名目金利から物価上昇率を差し引く近似である。ただし家計の預金なら実際の預金金利と税、期間中の物価を、借入れなら契約金利と返済条件を確認する必要がある。政策金利の実質値を、預金者全員の損失率や借り手全員の利益率へ変換することはできない。
物価が上がっても、収入が同じように増えるとは限らない。従って「返すころには借金の負担が軽くなる」と家計へ一律に当てはめる旧稿の説明も改める。住宅ローンの適用金利や返済額の見直しは契約による。政策変更だけを見て、最初にどの家計へどれだけ効くかを断定する資料は今回得ていない。
図表21の実質長期金利は名目長期金利とBEIから算出され、図表20のIMF予測による実質化とは方法が違う。BEIは物価連動国債などの価格から得る尺度で、家計へのアンケートの予想物価とは同じではない。二つの図を比較するときは、期限だけでなく何を差し引いたかまで確認する必要がある。
4. 中立金利の幅は、決まった利上げの終点ではない
図表25は日本の自然利子率をマイナス0.9〜プラス0.5%、中立金利の試算値を1.1〜2.5%の範囲で示す。左図の自然利子率は複数のモデルによる推計で、帯は各推計の最小値と最大値である。観測された一つの金利でも、必ずその範囲に収まることを保証する統計的な区間でもない。
講演時点の政策金利1.0%は、図の中立金利の下端1.1%より0.1ポイント低い。ただしこの差を「あと0.1ポイント上げれば正常化が完成する」とは読めない。高田委員自身も推計の不確実性と、海外環境に伴う中立金利の変化に言及する。1.1%や2.5%を日銀が決めた到達目標とは扱わない。
国内の物価への上振れ懸念についても、コストの増加が全商品へ同じ率で転嫁されると決まったわけではない。講演は価格設定や賃金、海外環境を材料に、二次的な物価波及のリスクを論じている。円高なら必ず利上げが止まり、海外が利上げすれば国内の制約が全て消える、という旧稿の一本道の説明は資料の条件を落としていた。
5. 月2兆円の買入れと、保有残高の減少は両立する
図表27は2026年6月の会合で決めた国債買入れ計画を示す。2027年3月までは原則として毎四半期2,000億円程度ずつ減額し、同年4月以降は月間2兆円程度を買い入れる。2,000億円は月間の買入れ予定額を段階的に下げる幅であり、その四半期に買う総額が2,000億円だけ減るという意味ではない。
月間2兆円で一定になるのは、新たに買う流量である。保有する国債は償還も迎えるため、買入れ額が横ばいでも保有残高が横ばいになるとは限らない。資料は月2兆円を維持すると仮定した場合、2030年3月の残高が減額前の2024年6月からおおむね36〜39%減る姿を示す。これは条件付きの試算で、実現済みの減少ではない。
また資料には、長期金利が急激に上昇するときの買入れ増額など、柔軟性を確保する方針もある。予定を示すことと、異変に応じて見直すことは両立する。国債市場の買い手の構成や金利への影響は、保有残高だけでは決まらず、各主体の需要と市場の状況を追う必要がある。
独自の視点――柔軟さとは、数字の条件を捨てないことだ
編集部は、この講演を「日銀が計画を捨てた」と読むより、判断の条件をどこに置くかという議論として読む。実質政策金利は物価の予測に、中立金利はモデルに、将来の保有残高は買入れの仮定に依存する。三つは強い数字だが、いずれも数字だけで政策の結論を確定できない点で共通する。
一方、条件があるから無意味なのではない。日米差1.76ポイントは同じ欄同士で計算でき、月2兆円は買入れの流れを示す。同じ尺度で比較する限り、どの前提が変わると判断が変わるかを追える。これが本稿の独自の整理であり、日銀の追加決定や家計への効果を予測したものではない。
次に注目するのは利上げの回数だけでなく、委員の提案が会合の決定になったか、物価の予測がどう改定されたか、買入れの流量と保有残高がどう動いたかである。柔軟な対応を理解するために必要なのは、見通しを約束と混同せず、条件付きの数字を条件付きのまま検証する姿勢だ。
訂正・補足(2026年10月11日):旧注意の通り、実質政策金利は8月25日時点の試算で、高田委員の見解は政策委員会の決定ではない。図表20のIMFの2026年物価見通し、図表21のBEI、図表25の推計幅、図表27の月間買入れ額と条件付き保有残高を再確認した。旧稿の全世界最低、預金の目減りとの同一視、円高なら利上げ停止、機動的対応を日銀の決定とする説明、月2兆円で残高減少が止まるかのような表現を改めた。
本稿は情報提供を目的とするもので、特定の銘柄の売買を推奨するものではない。
[文・構成=編集長 麻生 矩暉]
出典とメモ
- 日本銀行・高田審議委員9月2日札幌講演の政策運営への私見と提案を照合。講演全文PDFの従来リンクを保持。本稿は講演時点の説明で、10月11日時点の金利を表示するものではない。
- 公式図表PDFの図表20・21・25・27と注記を確認。比較表は図表20を基に作成。米国差0.52-(-1.24)=1.76ポイント等を再計算した。IMF予測の元データ全件、Bloombergの全金利系列、補間の全計算、自然利子率のモデル推計の再実行、全ての後続会合と市場効果の因果検証は行っていない。
- 旧出典のNHK、日経は履歴として保持。今回は公式講演と図表の該当範囲を優先し、報道全文の再照合ではない。2026年10月11日確認。最後の本文節は資料の条件を比較した編集部の分析で、取材体験や政策効果の実測結果ではない。














